陽ちゃん物語第2話 争い

当時はまだうつ病という病気は
メジャーではなかった


父は北海道庁で働いていた
まじめで仕事のできる人だったのだろう
入社して何年すぎたのかわからないが
そこそこ上までいっていたらしい



しかし当時は学歴社会
上には東大や早稲田などのエリート
札幌大学卒の父が敵うわけもなく
そこでの争いに負けうつ病になった



どういう経緯があったのかは知らない
そのうつ病までのプロセスを
僕は知る由もない
ただ母から聞いた話では
僕らが眠りに入っている深夜遅く帰ってきては
自分を責めながらよく泣いていたという




父が泣いた姿は僕の人生で見たことがない
それくらいの人が自己嫌悪に堕ち
悲しみにくれるのだからうつ病とは恐ろしい



プライドの塊だった父は
根こそぎそれを砕かれた入院した




僕のかすかな記憶の中で印象的だったのは
冬の寒い時期、電車と地下鉄を経由し
父が入院している病院へ行った記憶だ




なぜだか鮮明に残っている
長野オリンピックがやっていた
スキージャンプの原田が金メダルを取った
実況の興奮した声を聞きながら
「すごいね、金だって」
そんなたわいもない会話をしながら
父と4人でご飯を食べた



久しぶりの4人での食事だった
父は見る限り元気だった。傷もない。
なのになぜ父は入院しているのか
子供ながらに疑問だった




心の病なんて知るわけない
今思えば母は必死だっただろう
幼い2人の子供の面倒を見ながら
家事をし、夫の心の病をケアし
姑から嫌という程いじめられていたのだから




そんな渦中でも母は笑顔でいてくれた
僕は母の笑顔が大好きだった
「あなたのせいで修がこうなったのよ!」
姑は母にいう




お嬢様育ちの姑は
そもそも10も歳上の母との結婚は猛反対だった




うちの両親は今で言う授かり婚だ
「色目使ってけしかけたのよ」
そんな具合に罵倒していたという。



母はその後25年以上
姑とのいじめに耐えてきた。
幼い僕はそんなことは知らない
家族が大好きだった

陽だまりの香り〜心の居場所を探すすべての人へ〜

自分とのご縁と他者とのご縁を深める 関口陽介のブログ もっと生きやすく幸せになるには 本当の豊かさとは 本当の自分とは 自分と向き合うとは 心の居場所を探すすべての人へ それをちょっぴりわかりやすく お伝えしています。 自分と仲良く、他者と仲良く、世界と仲良く あなたの居場所の一部になれますように

0コメント

  • 1000 / 1000